@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00013387, author = {Mahoney, Brian James and マホニー, ブライアン ジェームズ}, journal = {三重大学国際交流センター紀要, Bulletin of Center for International Education and Research, Mie University}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 白鳳時代(西暦646~710年)から奈良時代(西暦710~794年)にかけての約150年は、日本における国の形成において非常に重要な時期と認識されている。それまでの日本は、村ごとに独立しており、国と呼べるものではなかったが、畿内(大和国)に国を統制する中核組織を設置し、国の仕組みが作られた。本稿は、この時期における三大関所(三関)を含む大規模な関所の開発が、古代の日本国家の発展のための極めて重要な役割を提供したことを説明する。そして、そこには、どのような防御システムがあったのか、そしてそれはどのように機能していたのか、またその防御システムの主な目的は何だったのか?本稿では、それらの問について調査するため、鈴鹿関の西暦7~8世紀の遺跡の発見、研究、採掘に直接携わってきた2人の主要人物、嶋村明彦氏と森川幸雄氏にインタビューした。また彼らとのディスカッションにより、鈴鹿関とこの時代の歴史的背景についての情報も得た。さらに、関所が本州の東部と東北地域全体に渡り、大和国の支配を拡大することに大きな役割を果たしたこともわかった。}, pages = {101--118}, title = {鈴鹿関と古代三関}, volume = {14}, year = {2019} }