@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00001422, author = {友永, 輝比古 and TOMONAGA, Teruhiko}, journal = {人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, ブレヒトは、ワイマール共和国崩壊の一因は知識人(学者)にある、と見ていた。かれは、インテリを中心としてワイマール共和国時代を整理する意味合いを込めて、『トゥーランドット姫 または 三百代言の学者会議』を書いたと言えよう。舞台を古い中国に移し、ワイマール共和国崩壊過程と中国解放運動をダブらせながら、政界、財界、インテリ層を思う存分に風刺している。ブレヒトの意図は、『ガリレイの生涯』で「理性のあけぼの」を示したのに対して、この作品で「理性のたそがれ」を示すことであった。しかし、終幕で唐突に中国解放が暗示され、作品全体から受ける印象としては、「あけぼの」と「たそがれ」が同時進行しているように思われる。さて、ここでは政界、財界については触れずに、白鬚ゼンをとおしてブレヒトが考えた学問像というか、学者像、学者の背骨を探ってみたい。また、作品に描かれた学者と庶民の関係から今日のそれについて考え、最後に上演の可能性について言及する。, 論説 / Article}, pages = {145--152}, title = {ブレヒトの『トゥーランドット姫 または 三百代言の学者会議』について}, volume = {21}, year = {2004}, yomi = {トモナガ, テルヒコ} }