@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00014646, author = {湯浅, 陽子 and Yuasa, Yoko}, journal = {人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要, Jinbun Ronso: Bulletin of the Faculty of Humanities, Law and Economics}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 北宋の「蘇門四学士」の一人である秦觀の、比較的若年期に当たる故郷の高郵で閑居していた元豐元年(一〇七八)から七年(一〇八四)頃の詩文を主な対象として、自己と自己を取り巻く社会の関係についての思考を、日常における閑居をめぐる作品に現れる「身世」「掩關」の二つの語に着目して検討する。 「身世」は普通、「自分の一生」、「人生のなかで経験してきたことのすべて」の意として用いられ、また地位や名声の意でも用いられる。すでに先人の研究によって、盛唐期の杜甫詩には「身」(彼自身)と「世」(彼を取り巻く社会)との間の齟齬に苦しむ様が描かれ、中唐期の白居易詩における「身世兩相棄」から「身世兩相忘」への表現の変化を経て、北宋期の蘇軾詩の表現においては、自身と世の中とがかけ離れている状態を了解することにより、精神的な安定を得ることが可能になっていると指摘されているが、秦觀詩における「身」と「世」は、これらを踏まえつつ、眠りの中で「失」われ、また眠りから覚めた時に「渺茫」としたものと感じられると描かれ、見通しのきかない頼りなさや不安感を漂わせている。 また、元豐元年秋の貢舉進士科に及第することができず、郷里の高郵に引きこもった秦觀は同年に「掩關銘」幷序を制作しているが、「掩關」は、門をふさいで世間との交わりを拒絶することを意味し、ここには当時の秦觀の鬱屈や絶望を窺うことができる。また「掩關」という語は、六朝期以来、ある場所が扉を閉ざすことによって社会から隔絶した状態にあることを表現し、特に東晉の陶淵明以降は世の中との応接を避ける隠者の閑居をイメージさせるものとされ、さらに中唐期の白居易がそれを自己の所謂「中隠」の状況を示す表現に用い、知識人の閑居のイメージとなっていったと考えることができる。 秦觀「掩關銘」もまた、このようなイメージの継承を踏まえて、当時の自己の思いを寓するにふさわしいテーマとして制作されたものであろうが、ここで描かれる「掩關」は、この語が従来持っていた社会との応接を拒絶する隠者の態度に倣う姿勢を示すものであると同時に、自分をこのような状況に置く現実社会への批判を含みながら、社会との応接を拒んだ個人的空間での生活や読書を楽しもうとするものとしても描かれている。 「身」と「世」の両方について、見通しのきかない頼りなさや不安を感じさせるものとして描いていた秦觀にとって、閉ざした扉の内側は、社会から、またそれと対比して意識される自分自身の現実からも逃れることのできる安心できる場所であり、そのような「世」からも「身」からも解放される場所で、彼は精神的に自由な状態を得、古今の書物に親しむことができたと考えることができる。秦觀らの世代の詩文に表現される閑居は、修養としての色合いを強めるとともに、生き生きとした楽しさを陰らせていくが、これには彼らの世代が政府内の党派対立の影響を前の世代よりも若年から被り、自己実現が難しい状況に置かれたことが関係しているのではないだろうか。}, pages = {1--15}, title = {「身世」と「掩關」―秦觀の閑居をめぐって―}, volume = {39}, year = {2022}, yomi = {ユアサ, ヨウコ} }