@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00015000, author = {松本, 昭彦 and Matsumoto, Akihiko}, journal = {三重大学教育学部研究紀要 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学・教育実践, Bulletin of the Faculty of Education, Mie University. Natural Science, Humanities, Social Science, Education, Educational Practice}, month = {Feb}, note = {application/pdf, 石牟礼道子が作品を書く行為は、言葉にならないものを言葉にする、他者の(あるいは自他の区別のない)言葉にならないコトバを自らを通路として言葉に変換して伝える、というものであった。一見逆説的なこの「書く」行為が、どうすれば、どのような足場からすれば可能だったのか、そして、それに乳幼児期の世界や「言葉」がどう関わるのか、井筒俊彦の言語哲学も参考にして、考察した。 石牟礼自身の幼児期をモデルとした自伝的作品や、エッセイ等を材料に考察すると、石牟礼は、誰かの言葉にならないコトバ・思いを引き受けて言葉にするために、自らの内面の深奥―そこは、故郷の元型としての「水俣」でもあり、「古代」でもあった―まで投身し、自身を含めた世界の本源的未分化・未分節の境位から「生まれ直す」ことを繰り返していたことがわかった。これについては、石牟礼の無意識のあり方が、井筒俊彦の言う「言語アラヤ識」に近いことも傍証となる。}, pages = {62--74}, title = {石牟礼道子の降り立つ「書く」境位ー乳幼児期の世界と「言葉」忌避の意味ー}, volume = {73}, year = {2022}, yomi = {マツモト, アキヒコ} }