@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00001582, author = {菅, 利恵}, journal = {人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 断片に終わったシラーの戯曲『マルタ騎士団』では、ともに戦う騎士たちによる恋愛が描かれている。シラーによってこの愛は作品の要としての位置づけが与えられているにもかかわらず、従来の研究においてこのモチーフは軽視されてきた。シラーはこの作品以外でも男性同士の情熱的な友愛をしばしば描いている。本稿では、まずシラーの作品一般において「男同士の愛」が持った意義を探り、そのうえで、『マルタ騎士団』の中で騎士同士の恋愛がどのような機能を果たしているかを明らかにする。 愛をめぐるシラーの言説は、啓蒙時代の「文芸公共圏」に見られた構造に刻印されている。すなわち、私的な「愛」のなかに「自由と平等」という市民的なイデオロギーを込め、この「愛」の言説を市民的な自己主張の基盤にする、という構造である。男同士の友情は、さまざまな愛の関係性の中でも市民的なイデオロギーをもっとも純粋に追究できるものであり、だからこそシラーはこのモチーフを繰り返し描いたのだと思われる。 『マルタ騎士団』は、「普遍的人間的なもの」の理念とその内実たる「自由と平等」の観念を、「犠牲的ヒロイズム」のドラマを通して顕現させる、という矛盾に満ちた課題を試みた作品である。この試みにおいて、シラーは「犠牲」を強制や権力から完全に「自由な」行為として描こうとした。男同士の恋愛のモチーフも、結局は実らなかったこの試みに取り組む中でこそ浮上したのだと思われる。すなわちここでは男同士の愛が、集団への自発的な自己溶解をうながすための動力として機能しているのである。 シラーにおける男同士の愛は、あくまでも自由な関係性であるからこそ、「自由と平等」を掲げる空間のなかに、「支配と隷属」の構造が入り込むことをゆるす契機ともなっている。シラーによる「人間的な」犠牲のドラマの試みは、理想主義的な男同士の関係性をめぐる逆説を明らかにしている。}, pages = {93--106}, title = {『マルタ騎士団』論 : フリードリヒ・シラーにおける「男同士の愛」}, volume = {29}, year = {2012} }