@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00001589, author = {湯浅, 陽子}, journal = {人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 北宋初期から継承されていた詩の作風と文体の両面において大きな変革を成し遂げ、その結果、その後の宋代文学の流れを決定付けた歐陽脩における宋初の詩風に対する態度について、主に『六一詩話』の記述により検討する。 歐陽脩は、『六一詩話』執筆時にはすでに廃れていた晩唐期の詩人の作風を正面から否定することはなく、むしろ少年時代を思い出させる懷かしいものとして捉え、晩唐詩風のよき理解者であったことを示しているが、同時に、詩のテーマや気分が限定されるという限界をも感じていたと考えられる。 また所謂西崑体の中心人物である楊億は、秘閣という場所柄を意識し、豊富な学識を踏まえて典故や修辞の工夫を凝らし李商隱に倣った詩風により、劉筠・錢惟演とともに彼ら以前に存在した台閣の詩風である白体を意識した応酬を行い、その他の応酬参加者の作品も併せて『西崑酬唱集』を編んだと考えられる。歐陽脩はこの西崑体の故事や難解な語を多用する傾向を、学問のある者なればこその弊害として認めつつも、それ以上の批判は加えておらず、宮廷の館閣を中心とする知的詩風としての西崑体に、晩唐体詩風の平板さやマンネリズムを克服する一つの可能性を求めたのではないかと考えられる。しかし、結果的に彼が西崑体の詩風を継承せず、盛唐期・中唐期の思潮や文学に学んだより自由な新しい詩文を模索したことは、彼が先輩たちの高い知性の凝縮であるこの西崑体の詩風にも限界を感じたということを示している。}, pages = {57--71}, title = {宋初の詩風をどう見るか : 歐陽脩の視点}, volume = {29}, year = {2013} }