@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00001601, author = {菅, 利恵 and SUGA, Rie}, journal = {人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 一八〇〇年前のドイツ語圏においては、ナポレオン戦争のために市民の政治的なアイデンティティ形成に転換期が訪れ、コスモポリタン的な啓蒙時代からナショナリズムの時代への移行が始まりつつあった。この過渡期にあって、シラーは時代状況をどのように見据え、これにどう取り組もうとしたのだろうか。本論文は、『オルレアンの処女』と時代状況との関わりを探りながらこれを明らかにするものである。 まず、私的な愛の描写を手がかりに、この作品に描かれた世界とこれが書かれた当時の時代状況との関係性を示す。啓蒙時代の言説空間においては、私的な愛が政治的な戦いの後楯として機能した。しかし『オルレアンの処女』では愛のそうした機能が失われ、政治的な情熱が「人間的なもの」として発露するための一つの重要な契機が失われている。そのような作品の構造は、コスモポリタニズムとナポレオン戦争のはざまで、戦うための理念を手にすることができない時代状況をすくいとっていると考えられる。 次に、『オルレアンの処女』の筋書きを検討し、作者がこの作品世界を通して上述の時代状況にどのような省察を加えたのかを探る。この作品では、政治的な戦いが理念的な後楯を持たない状況が作り出された上で、「神との約束」というかたちで戦うための理念が人間社会の外から与えられている。そして筋の展開を通して、この理念を人間の社会に取り込むことの不可能性が浮き彫りにされている。さらに、主人公ジャンヌが神の後楯を失ってなお戦い続ける姿に、そのような不可能性を抱えたまま侵略への自らの怒りに向き合うしかない、という作者の現状認識を読み取ることができる。 政治的な自己主張が必要な危機の時代にあるにもかかわらず、そのような自己主張の拠り所が決定的に失われているという現実を認識した上で、それでも可能な自己主張のかたちを模索する作者のあり方が、この作品には明らかにされている。}, pages = {45--56}, title = {『オルレアンの処女』と一八〇〇年前後のドイツ}, volume = {30}, year = {2013} }