@article{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00001652, author = {湯浅, 陽子 and YUASA, Yoko}, journal = {人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 宋代の文人の閑居における儒家的な修養の意識の表れについて、北宋中期に孔子の子孫である孔宗翰が顔回の旧居に設けた顔樂亭に寄せられた、司馬光・蘇軾・程顥らの詩文において展開される、顔回の清貧生活における楽しみをめぐる思考を中心に検討する。六朝期から北宋初期までの詩文において、顔回の陋巷での生活は有徳の隠逸者の清貧生活として理想化されており、この顔樂亭に寄せられた詩文でも顔回に対する従来の高い評価が継承されている。その中で司馬光の「顔樂亭頌」及び序は、顔回の清貧生活を分限に甘んじるものとして評価するが、司馬光はまた彼自身の閑居の場に寄せた「獨樂園記」でも同様の考え方を述べており、天与の分限を守る質素な閑居が彼自身の理想でもあったことを示している。一方、蘇軾「孔周翰顔樂亭」詩は、むしろ『荘子』的な発想に拠って顔回の人となりのとらえどころの無さを表現し、儒家の論理に固執しないより自由な立場を志向する。また程顥「顔樂亭銘」は、孔子―顔回の間の正統な学問の継承を言祝ぐが、顔回の清貧生活が何を楽しみとしているのかという点には触れていない。この点については、むしろ弟の程頤が多く言及しており、程頤はそれらにおいて、顔回の楽しみの対象を道そのものであるとし、さらにその楽しみを貧富等の状況によっても惑わされないことを孔子は称賛したのだと考えている。また程頤には胡_門下での議論を伝える「顔子所好何學論」等も残されており、当時における顔回の人となりと学問のあり方への関心の高まりの広がりを示している。孔宗翰による顔回の旧居での亭の造営と「顔樂」という名付け、さらに顔回の楽しみについての検討は、このような儒教的思考の活発化と柔軟化を背景としたものである。さらに、歐陽脩「顔跖」詩・『集古録跋尾』中にも顔回の人となりに対しての言及があり、また北宋中期から南宋期にかけての黄庭堅・王十朋・陸游らも、いくつかの作品のなかで顔回の閑居の楽しみについて検討していることからは、このテーマへの関心が継承されていった様子を捉えることができる。特に王十朋「至樂齋賦」引は、歐陽脩の詩句で読書の楽しみを指す「至樂」を、顔回が清貧生活のなかで感じる楽しみを指すものとして使用しており、そこには顔回の樂をめぐる北宋期の思考の影響を見ることができる。}, pages = {1--15}, title = {顔樂亭からの眺め : 北宋中期における閑居の一側面について}, volume = {33}, year = {2016} }