@techreport{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00007043, author = {山中, 章 and 廣岡, 義隆 and 山田, 雄司}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 聖武天皇伊勢行幸地の中で最も長期に滞在した宿泊地が河口頓宮()740年11月2-11日)と赤坂頓宮(同月14-22日)である。前者については平成 15年度に発掘調査他を実施し、その実務機関の一端を始めて明らかにした。本年度は後者の実態を解明するため頓宮想定地の有力地である三重県亀山市関町での発掘調査を実施することにした。その結果、推定地の北西部から、聖武天皇の時期に壮大な規模の土木工事を実施したことを証明する重圏文軒丸瓦と共に、城壁の跡を発見することができた。城壁は観音山の山裾の谷上部を縫うようにして設けられており、(1)基底土木工事、(2)築地基底部造成工事、(3)築地構築工事の三段階に分けて行われていたことが実証され、特に、これまで全く知られていなかった城壁が装飾性と格式に富む築地塀であったことが始めて立証され、その建設時期と相まって、検出遺構が聖武天皇の宿泊施設である赤坂頓宮の囲続施設をも兼ねていることが明らかにされた。 聖武天皇の伊勢行幸はその後の美濃行幸も含めて、既存の公共機関の施設を利用、改修、解体新築して進められたことが知られている。その中心を担ったのが造伊勢行宮司である。周到に準備された「伊勢行幸」を考古学的に証明したのが今回の発掘調査の成果であり、昨年の調査で実施した朝明頓宮の成果とも会わせて、行宮造営体制や行宮の基本構造、個別行宮の特色などを一気に明らかにすることができた。 また赤坂頓宮の北西隅を解明したことによって、これまで全くその存在を現すことがなかった、伊勢・鈴鹿関の位置が特定でき、三関研究にも大きな成果を得ることができた。またこうした古代の行宮(頓宮)建設が隋・等の同施設からどの様な影響を受けているのかについて、国際シンポジウムを開催し、比較研究した。さらに、近年めざましい発掘調査成果を出しているヴェトナムのタンロン王城遺跡の調査分析も実施し、日中越三国の古代王権が隋晴・唐をモデルにした国造りを行っていることも明かにすることができた。, 平成15年度〜平成18年度科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書, 津, 147, 107, 15320107}, title = {聖武天皇伊勢行幸地の総合的研究}, year = {2007} }