@techreport{oai:mie-u.repo.nii.ac.jp:00007044, author = {今泉, 智之}, month = {Jan}, note = {application/pdf, 本研究の目的は、『テアイテトス』において知覚、判断、思考、考察、知などの能力が、外界を認識する際それぞれどのような役割を果たすと考えられているのか、またこれらの能力は美醜善悪などの価値の把握にどのように関わっているのかを明らかにすることである。本年度は『テアイテトス』における、知覚が知であるとする定義が最終的に論駁される第一部の末尾の議論において、知覚と思考などの関係がどのように考えられているのかという問題を検討した。この問題に関してはこれまでに大きく分ければ、(1)思考や考察の働きは知覚と同一視されるか、知覚に含まれる、(2)知覚は思考や考察の際に用いられるかもしれないが、思考は知覚とは異なる、という二通りの解釈がなされている。このうちどちらの解釈が正しいのかを見極めるためには、音や色が塩辛いものであるか否かを考察するのはいかなる能力なのかについての問答(185b9-e2)を詳しく検討しなければならない。諸解釈者のうちCooper、Modrakらは解釈(1)を、Kanayamaらは(2)を採用している。しかしこれらの解釈を詳しく検討すると、前者がテキストに書かれていないことをテキストに読み込んでいるのは明らかである。また後者はテキストの修正を提案しているが、その修正は必ずしも必要なものではない。私は解釈(2)を採るのが正しいが、そのためにはテキストを修正する必要はないと考える。本年度はこの点を明らかにした。この研究成果は論文「『テアイテトス』(184-186)における知覚と思考」として発表する予定であったが、諸般の事情により今年度中に公刊することはできなかった。この論文は来年度に公表する予定である。, 平成17年度~平成19年度科学研究費補助金 (基盤研究(C)) 研究成果報告書, 津, 50, 17520009}, title = {プラトン『テアイテトス』における認識と価値}, year = {2008} }