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近世の伊勢神宮と朝廷 : 「触穢令」をめぐって
http://hdl.handle.net/10076/5291
http://hdl.handle.net/10076/52911c28d5cf-4779-4cfd-be4c-08206cb26466
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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AN100450900170013.PDF (1.7 MB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2007-07-02 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 近世の伊勢神宮と朝廷 : 「触穢令」をめぐって | |||||
言語 | ja | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
塚本, 明
× 塚本, 明 |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 近世の朝廷が発令した「触穢令」が、伊勢神宮に与えた影響の時期的変化を見ながら、近世の伊勢神宮と朝廷との関係を考察した。「触穢令」は天皇・上皇・女院の死に際して朝廷から出されるものだが、前期には江戸将軍の死もその対象となった。基本的には宮中及び京都周辺の社寺に限定して出され、朝廷行事や神事等がその間中断された。さて伊勢神宮に京都の「触穢令」が伝えられるのは宝永六年を初発とするが、これは触穢伝染を予防するためのもので、天保年間に至るまでは伊勢神宮・朝廷側ともに、京都の触穢が伊勢にも及ぶという認識はなかった。だが伊勢神宮を朝廷勢力に取り込む志向が強まるなかで、弘化三年時には朝廷は伊勢神宮の抵抗を押し切り、触穢中の遷宮作時を中断させるに至る。両者の対立の背景には、触穢間の相違に加え、神宮神官らが全国からの参宮客を重視したことがあった。 | |||||
書誌情報 |
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 巻 17, p. 1-19, 発行日 2000-03-25 |
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ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 0289-7253 | |||||
書誌レコードID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN10045090 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
その他のタイトル | ||||||
言語 | en | |||||
値 | Ise-shrine and the Imperial Court in the Edo-period | |||||
出版者 | ||||||
出版者 | 三重大学人文学部 | |||||
資源タイプ(三重大) | ||||||
値 | Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 |