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アイテム
啓蒙時代における愛と市民
http://hdl.handle.net/10076/14412
http://hdl.handle.net/10076/1441260e60973-6249-4473-890e-542866678049
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||
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公開日 | 2015-04-01 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | 啓蒙時代における愛と市民 | |||||||||
言語 | ja | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | jpn | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||
著者 |
菅, 利恵
× 菅, 利恵
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抄録 | ||||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||||
内容記述 | 私的な愛の関係性に与えられる文化的な位置づけや意味は、近代化の過程で大きく変わったとされる。この変化と近代的な市民社会の発展との関連性は、一見して思われるほどに自明なわけではない。新しい愛の観念が広められたドイツ語圏の18世紀において、市民社会の発展ということはあくまでも「文化的な現象」であり、政治的、経済的な実力を持った市民層はまだ形成されていなかった。また「市民的」という言葉に込められる意味は様々であり、18世紀における愛の観念の変化には「市民的な」価値意識から明らかに逸脱するようにも見える部分もあった。このように愛をめぐる言説と市民社会との関係には簡単に整理のつかない部分があるため、従来の研究では、この関係自体が否定されたこともある。本稿は、そうした研究の流れをふまえて、近代化の中で生まれた新しい愛の言説における「市民的なもの」をあらためて検証しなおそうとする試みである。啓蒙時代における愛の観念の変化を、近代初期の社会思想との関連性において論じることによって、私的な愛をめぐる言説が、市民社会の形成過程においてどのような意味と役割を持ったのかを明らかにする。 | |||||||||
書誌情報 |
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 巻 32, p. 29-42, 発行日 2015-03-30 |
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ISSN | ||||||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||||||
収録物識別子 | 0289-7253 | |||||||||
書誌レコードID | ||||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||
収録物識別子 | AN10045090 | |||||||||
フォーマット | ||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||
内容記述 | application/pdf | |||||||||
著者版フラグ | ||||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||||
その他のタイトル | ||||||||||
言語 | de | |||||||||
値 | Bürgerlichkeit und Liebe in der Zeit der Aufklarung | |||||||||
出版者 | ||||||||||
出版者 | 三重大学人文学部文化学科 | |||||||||
資源タイプ(三重大) | ||||||||||
値 | Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 |