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  1. 20 教育学部・教育学研究科
  2. 20C 紀要
  3. 三重大学教育学部研究紀要. 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学
  4. 65 (2014)

「末の松山」考 : 「波が越す」という措辞をめぐって

http://hdl.handle.net/10076/13952
http://hdl.handle.net/10076/13952
8be36f51-4867-4fb9-a0ea-a7370ff6772e
名前 / ファイル ライセンス アクション
20C17045.pdf 20C17045.pdf (973.8 kB)
Item type 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1)
公開日 2014-08-06
タイトル
タイトル 「末の松山」考 : 「波が越す」という措辞をめぐって
言語 ja
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ departmental bulletin paper
著者 松本, 昭彦

× 松本, 昭彦

ja 松本, 昭彦

en MATSUMOTO, Akihiko

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 歌枕「末の松山」について、それを「波が越す」という有名な措辞がある。古くは『古今和歌集』巻二十・第一〇九三番歌に、「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」とあり、「仮名序」にも和歌表現の歴史を言う中で、「あるは、松山の波をかけ」とある。この東歌の表現は、『万葉集』巻七・第一三八二番歌「泊瀬川流る水沫の絶えばこそ我が思ふ心遂げじと思はめ」等の類型表現と同様、「非現実的現象の非実現性」を、恋心の永続性の譬喩とするものだが、仮定の上下が逆になっている。わざわざ上下が逆転した作りになっているのは、貞観津波によって「末の松山を波が越える」ことは、実現一歩手前まで行ってしまったので、類型通りでは、自らの恋心の誓いにならないと感じられたためと思われる。つまり、この東歌の、そしてこの措辞の背景には、貞観津波で末の松山に津波が迫ったという事実があったはずなのである。この措辞が都に伝わると、一気に広まったが、やがて津波の知識・記憶は薄れ、元々の意味とは別に、面白い表現として使用され、「歌枕」となったものであろう。
書誌情報 三重大学教育学部研究紀要, 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学

巻 65, p. 92-100, 発行日 2014-03-31
ISSN
収録物識別子タイプ PISSN
収録物識別子 1880-2419
書誌レコードID
収録物識別子タイプ NCID
収録物識別子 AA12097333
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
その他のタイトル
言語 en
値 A study of 'Sue no Matsuyama'
出版者
出版者 三重大学教育学部
資源タイプ(三重大)
値 Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
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Ver.1 2023-06-19 19:00:37.412691
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